パシフィックニュース
新しいディサースリアの臨床1.基礎理論と最近の動向
その他
新潟医療福祉大学 西尾 正輝
2009-07-01
コミュニケーション障害とディサースリア
成人の領域における主なコミュニケーション障害として、ディサースリア、失語症、発語失行がある。ディサースリアは、失語症や発語失行とは明確に区別される。この点について理解するために、まず、話しことば(speechの訳語で発話ともいう)が作られる過程について考えてみよう。図1に、発話の生成過程の模式図を示し、同時に各コミュニケーション障害との対応関係についても示した。
まず、相手に伝えようとする情報内容を概念化する認知過程(思考過程)がある。概念として形成された抽象的な伝達内容は、一定の言語学的規則に従って言語という特殊な符号(記号)体系に組み立てられる。この言語学的符号化の過程の障害に相当するものが、失語症である。
次に、発話の中でも構音運動を企画する過程があると考えられている。この過程の障害に相当するものが、発語失行である。
最後に、話し言葉として意図を表出するために、大脳皮質の運動野から運動指令が発せられ、中枢および末梢の運動性伝導路を経て発声発語器官を構成する各器官(呼吸器系、喉頭、鼻咽腔、舌、口唇、下顎など)に伝達される。各器官は、運動指令に従って複雑・精緻で協調的に活動する。この過程は、発話の実行過程と呼ばれる。この過程の障害に相当するものがディサースリアである。
意外と理解されていないことだが、理学療法士や作業療法士が対象とする、神経・筋系の病変に起因した上下肢の運動障害と、ディサースリアの障害構造は同じである。どちらも錐体路系、錐体外路系、小脳系、末梢神経系、筋系といった運動性伝導路の障害である。従って、ディサースリアは高頻度で上下肢の運動障害を合併する。
ディサースリアと発語失行を併せて、運動性発話障害(motor speech disorders, MSDs)という。失語症が言語(language)の障害であるのに対して、発語失行とディサースリアは発話(speech)の障害である。西尾(2006a)による推定では、国内に約65~70万人のディサースリアのある人がいる。
図1
ディサースリアの定義
ディサースリア(dyarthria)とは、「神経・筋系の病変に起因する発声発語器官の運動機能障害による発話(speech)の障害」と定義される(西尾、2006a)。これはダーレィら(Darleyら、1975)の定義を簡潔に表記したものである。
ディサースリアは、かつては構音器官のレベルで生じる構音の障害と定義された。しかし1960年代に入ったころから次第に発声発語器官全体の、あるいはいずれかのレベルで生じる発話の障害として拡大して解釈されるようになり、国際的に見解の一致が得られるに至った。この点で、ダーレィら(1969,1969,1975)は大きな功績を残した。
国内ではディサースリアに関する基礎的理解、評価技術、治療技術の進展が大きく遅れた。その結果、なおも一部ではディサースリアが「構音障害」と呼ばれ、表1のような古典的分類に従い解釈されてきた。しかし、今日言語病理学の領域で国際的に標準的に用いられる発話障害の分類体系をまとめると,表2のように示すことができる。
国内では、ディサースリアを「構音障害」と呼びながらも、その定義の中に呼吸、発声、共鳴・構音、プロソディーの障害も含める、とする者がいる。しかしこれは、構音という用語の誤用以外のなにものでもない。構音は発話を構成する一連の構成要素の中の一つにすぎない。さらに,運動性発話障害とディサースリアを同一視する基本的誤解も散見される。
ディサースリアの最近の動向
ディサースリアの歴史は、「診断の時代」、「治療の時代」「臨床方針決定の時代」の3期に区分される。第一期である「診断の時代」は1969年に発表された古典的なダーレィらによるメイヨ-・クリニックの報告をもって完結し、基礎理論体系が確立した。1980年代になって「治療の時代」に入るとディサースリアの評価ならびに治療技術が進展し、一連の手法が開発された。こうした時代を経て、エビデンスに基づいて臨床方針を決定する今日の「臨床方針決定の時代」に入っている。エビデンスに基づいた臨床の発展に関して国際的に指導的役割を果たしてきた学術組織であるAcademy of Neurologic Communication Disorders and Sciences (ANCDS)により、ガイドラインが着々と提出されている。
ところが、国内におけるディサースリアの領域では、「診断の時代」でその歩みが滞ってしまった。その後2005年あたりまでの期間を、著者は「空白の25年間」と呼んでいる。こうして、国内の言語聴覚士は、1980年以降にアメリカを中心として体系化された新しい臨床的技術について教育を受ける機会に恵まれないまま、極めて古典的なアプローチを臨床で施行しつづけてきた傾向にある。
こうした国内の閉塞的なディサースリアの臨床状況を打破すべくして、2002年に「日本ディサースリア臨床研究会」が設立され、欧米で蓄積された豊富な知見と技術が積極的に導入されるようになった。「1)派閥をつくらない、2)科学的真実のみを追究する、3)クライアント中心主義」をキーワードに、今日では750名を超える全国レベルの団体へと進展した。
また、治療効果を測定する客観的評価システムとして特筆すべきは、2004年に西尾(2004)により「標準ディサースリア検査(AMSD)」が完成したことであろう。同検査は、国内で初めて標準化された総合的なディサースリアの検査法である。また、同年にはディサースリアの領域において国際的権威者であるヨークストンらの名著が伊藤ら(2004)により「運動性発話障害の臨床-小児から成人まで-」として訳出されて出版され、過去30年間の間に欧米で蓄積された臨床的知見が国内に伝えられた。
さらに、ANCDSのガイドラインを参照としながら、各種の治療手技のエビデンスについて検討がなされ(西尾ら、2007)、日本語を母国語とするディサースリアの治療ガイドラインが提出された(西尾ら、2006b)。
こうした標準検査の確立、名著の翻訳・出版、ガイドラインの作成に加えて、「日本ディサースリア臨床研究会主催 ディサースリア治療セミナー」の開催などにより、「空白の25年間」を超えて力量のある臨床家が育つ環境が整った。国内のディサースリアの臨床技術レベルは、過去7年間で飛躍的に進展した。
他方で、ディサースリアの臨床技術が飛躍的に進展する一方で、言語聴覚士の急増とともに、国内における言語聴覚士の質的格差が拡大してしまったように思われる。この問題を解消するには、養成校での教育の充実化が求められる。また現任の言語聴覚士に対して責務ある日本言語聴覚士協会、各都道府県士会により良質な生涯学習教育がなされることを切に期待したい。
文献
Darley,F.,Aronson,A.,Brown,J.: Clusters of deviant speech dimention in the dysarthrias.Journal of Speech and Hearing Research,12:462-496,1969.
Darley,F.,Aronson,A.,Brown,J.: Differential diagnostics patterns of dysarthria. Journal of Speech and Hearing Research,12:246-269,1969.
Darley,F.,Aronson,A.,Brown,J.: Motor Speech Disorders.Saunders,Philadelphia,1975.
伊藤元信、西尾正輝(監訳):Yorkston, K. M., Beukelman, D. R., Strand, E. A., Bell, K. R. 著):運動性発話障害の臨床_小児から成人まで_.インテルナ出版,2004.
西尾正輝:標準ディサースリア検査(AMSD).インテルナ出版,2004.
西尾正輝:ディサースリアの基礎と臨床 第1巻-理論編-.インテルナ出版,2006a.
西尾正輝:ディサースリアの基礎と臨床 第2巻-臨床基礎編-.インテルナ出版,2006b.
西尾正輝、田中康博、阿部尚子、島野郭子、山路弘子:Dysarthriaの言語治療、成績、音声、言語医学、48:215-224,2007.
西尾正輝:ディサースリア標準臨床テキスト.医歯薬出版,2007.
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