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震災特集 10

震災特集

震災特集  10

「ほぼ寝たきりの生活が・・・」

株式会社エイゼット(千葉市花見川区)  福祉住環境課 主任研究員 内田 忠夫

2013-10-01

『絆』『つながり』。震災後この言葉を何度耳にしたことだろう。
被災地に『チーム医療』を具現化し、仮設住宅の環境を変えることで、ある被災者の人生も大きく変わった。自分が担うべき役割を着実に果たしつつ、他職種の業務を尊重しバトンを渡す。3.11から2年半の歳月。
『つながり』の言葉がさらなる深みを増している。

「face to face 東日本大震災リハネットワーク」は、有志のリハビリテーション専門職者(リハビリテーション専門医師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士)を中心に、栄養士、保育士、ボディーワーカー等も参加する、災害リハビリテーション支援団体です。

face to faceとの連携

私が通常行っている業務は在宅で暮らす高齢者や障がい者のお宅を訪問し、その方に応じて環境を変えることにより、生活しやすくすることである。

3月11日の大震災から1ヶ月後、被災地の特養や避難所でトイレが使用できず困っているという情報が届き、気仙沼と南三陸町にポータブルトイレを届ける機会があった。その時に現地の状況を少し垣間見ることができた。何かしたい気持ちはあっても何かができるわけではなかったが、その後も被災地の状況はツイッターなどから積極的に集めていた。そんなある日、被災地で活動しているface to face(以下、FTF)というリハビリ職有志の集まりが埼玉県内で活動内容の報告会を開催することを知り、私も参加した。その後に行われた報告会にも継続的に参加していた。

当時FTFの代表でもあり、前号(Vol.153)でも震災特集記事を執筆されていた国保旭中央病院のリハ医である藤本幹雄氏よりある日突然メールを頂く。「気仙沼の仮設住宅にお住まいのAさんはケースとして手すり一つ・リハのやり方一つで人生が大きく変わりそうな人なので、内田さんがなんとかしてくれないか」という内容だった。自分に何ができるかもわからない。しかし逃げずにできるだけのことをしようと決めた。私のパートナーとして、定期的に気仙沼仮設住宅住民の方々へ介入している理学療法士の三浦さんを紹介して頂き、Aさんの最新情報を入手できるようになったり、仮設住宅への手すり設置の承認を取得することができた。

最初はサマリーのような文字情報から始まり、簡単な見取り図や体調の良い時に流し台につかまり立ちしている訓練の動画などが三浦さんから送られてくるようになった。Aさんの体調が悪く、情報のやり取りが無い期間もあったが、ただ「その時」は間違いなく来ることを何故か強く確信していた。自分に何ができるかわからなくても、その時が来たら素直な気持ちで気仙沼に行こうと決めていた。藤本氏のメールから5ヶ月後、Aさんの体調が良くなり安定した時期を見計らい、愛用の工具を積んだ自家用車で私は現地入りした。

現地にて

Aさんは15年前の交通事故で脳にダメージを負い、失語などの高次脳機能障害が残っている。簡単に表現すると、全身の筋肉が不随意的にこわばり、身体がのけぞったようになっていることが多く、ベッドのサイドレールにつかまればある程度寝返りはできるが、起き上がることや端座位を取ることはできなかったために、このまま加齢が進めば近い将来に寝たきりになってしまうと担当医からも告げられており、奥様と二人暮らしで実際にはほぼ寝たきりの状態だった。しかし藤本氏がFTFの活動の中でAさんを診断し、体幹や両下肢の支持機能がしっかりしていることを見極めた上で私へのメール送信につながったのだ。

三浦さんから届いた流し台での訓練の動画は時間にして1分半。(写真1)歩行とは言えないが流し台のフチに両手でつかまり、足を右へ左へ懸命に動かそうとしているAさんの動きを自分なりに分析し、現地入りしたらまずAさんの握る機能を確認する必要があると考えていた。そして現地入りする前に直径70mmの発泡スチロールと直径75mmのコルクの球を準備していた。(写真2)待ち合わせ場所で三浦さんと無事に合流し、Aさんとの初対面の挨拶を済ませた後に、三浦さんに協力してもらいながら早速それらをAさんに握ってもらった。こわばっていてもある程度随意的に握ることができるAさんは、予想していた通りに右手でも左手でもそれらを握ることができたが、私の目には直径75mmのコルクボールの方が安定した握りに見えた。そしてその時点で私には自分がやるべきことが頭の中にハッキリと描かれた。それを具現化するための部材はすべて、現地のホームセンターで調達した。

写真1:流し台での訓練動画の一部

写真2:直径70mmの発泡スチロールと直径75mmのコルクの球

手すりの機能と特徴

ご覧の通り、Aさんのために構築した「手すり」は直径72.5mmの軟式野球のA号ボールを採用し、とても機能的で意匠面でも非常に特徴的なものになった。(写真3)両足で体重を支えていれば両手でしっかりと握ることで、のけぞっていても前かがみでも立位が安定する。球状なのでどの角度からでも同じように握れるし、指2本だけ掛かれば握ることができる。

Aさんに適した握りの大きさなので、手を離すことも円滑に行える。持ち替えながら横へ横へと移動するのだが、つかんで引きつけることも押し出すこともしやすいために、重心移動のきっかけを作りやすく、バランスを崩しても回復しやすい。Aさんにとってはボールを持ち替えて次に移ることが目前の「短期目標」となるために、近すぎず遠すぎずの距離に設定した。

もちろんAさんが最も歩きやすい高さに設定した。この壁だけでは片道2mほどを往復する歩行練習しかできないので、流し台まで歩行できるようにするための中継地点として第8のボールを取り付けた。私ができることはここまでだった。(写真3・4・5)

後片付けを済ませると三浦さんの介助でAさんはベッドから立ち上がり、両手でしっかりボールを握った。説明するまでもなく、Aさんはボールを持ち替えながら横に足を運んだ。(写真6)私はもっとぎこちない動きを想像していたが、とてもスムーズなカニ歩きだった。一往復したところで一度ベッドに腰を下ろすことを勧めたが、二往復目を始めてしまった。それを見て、とにかく私は自分の使命を果たせたことに安堵していた。

その翌日からAさんは積極的に毎日歩く練習を始めた。1ヶ月半後にはかなり安定してきたために次のステップとして、藤本氏の紹介により愛知県内の病院に入院した。そこで8週間のリハビリプログラムを終えて帰宅した頃には、歩行器を使って屋外を60mも歩くようになっていた。Aさんが住んでいる仮設住宅の生活環境を変えることで、Aさんの人生が激変してしまった。私は一時期、罪悪感に近い感情を抱いたのだが、Aさんのご家族やボランティアでAさんに関わっている医療関係者、そしてface to faceの皆さんからも良い評価を頂き、何よりAさんご本人の回復具合が私を肯定してくれていると今は考えている。

「その人に合わせて」手すりを構築し環境を変えることにより、生活が改善できる。その人が持っている機能を引き出すことが可能となる。今回はボランティアでの介入であったが、自分の従事している仕事の奥深さや責任の大きさを改めて認識している。

写真3,4,5

写真6

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