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ポール・バン・リード氏(オルフィット社)追悼特集

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ポール・バン・リード氏(オルフィット社)追悼特集

As Always, Mr .Paul Van Lede

パシフィックサプライ株式会社

2017-04-03

弊社のベストパートナー企業であるオルフィット社(ベルギー)ポール・バン・リード氏が2017年2月15日ご逝去されました。ポール・バン・リード氏の日本におけるハンドセラピィ業界への多大なるご功績を偲び、追悼特集をお送りさせていただきます。

はじめに

オルフィット社(ベルギー)で長年に渡り、製品スペシャリストとしてご活躍されましたポール・バン・リード氏が2017年2月15日ご逝去されました。

 

弊社パシフィックサプライ㈱は、1990年オルフィット社(ベルギー)とスプリント材料に関する日本総代理店契約を締結いたしました。ポール・バン・リード氏(作業療法士)はスプリント技術の伝達・浸透のために、日本市場導入時より、度々来日され、弊社と共に全国で多くのセミナーを開催いただきました。製品の特性にとどまらず、スプリント製作技術や対象者へのアプローチ方法、ひいては手の解剖学、運動学に至るまで、スペシャリストとして教育活動にご尽力いただきました。
 

ポール氏の多大なるご功績に心より感謝を申し上げ、ここに哀悼の意を表します。

 

今回の追悼特集にあたりまして、一般社団法人 日本ハンドセラピィ学会、元学会長 椎名喜美子先生よりポール・バン・リード氏への追悼メッセージをいただきました。椎名先生は国際ハンドセラピスト学会の設立準備やスプリントマニュアルの日本語版作成など、ポール氏と長きにわたり親交を深めてこられました。

今回、急な依頼にも関わらず、快く追悼文をご寄稿いただきました椎名先生のご厚情にこの場をお借りいたしまして心より感謝を申し上げます。

ポール・バン・リード氏(作業療法士)

Paul Van Ledeと出逢えたこと 

                 椎名 喜美子 : 医学博士・作業療法士・認定ハンドセラピスト


人生は多くの人との出逢い、別れの連続でしょう。Paul Van Ledeは私にとってその中でも特別な人のひとりです。彼と出逢えたことはOT(作業療法士)としてかけがえのないことでした。ここ数年私がリタイアした関係で、学会や講習会のための連絡を取ることがなくなりましたが、体調がすぐれないらしいと伺い案じていました。このたび彼の訃報に接し、誠に慙愧に堪えません。お互いに元気であれば、ぜひもう一度ベルギーを訪ねたいと思っていました。
 

Paulと初めて会ったのがいつなのかどうしても思い出せません。たぶん1980年代後半のアメリカでのハンドの学会であっただろうと思います。今思えばExhibitionでスプリントを巧みに作成している姿が印象的でしたが、当時Orfit社というメーカーもましてやヨーロッパのベルギーという国も私には全く馴染みがありませんでした。
 

間もなくパシフィックサプライ社さんから日本で輸入販売したいベルギーのスプリント材料があり、会社の顧問のOTのPaul Van Ledeが来日するので会って欲しいと言われ大阪に出向いたこととさすが川村一郎前社長と思ったことを覚えています。それが何年頃だったかはパシフィックさんの記録に委ねます。とても斬新な素材なのでワークショップの開催も含めて輸入してくれることを期待した次第です。後日彼のスプリントマニュアルの日本語版作成に関わらせていただき、彼の知識と実力に敬意を払った次第です。

セミナー風景(故・川村一郎社長中央)

国際ハンドセラピスト学会のcommittee meetingにて

国際ハンドセラピスト学会設立と共に

その後1989年の国際ハンドセラピスト学会の設立準備や何回かのワークショップで親しくなり、1992年パリで開催された国際手の外科学会・国際ハンドセラピスト学会では共に役員として1週間ご一緒し、パリのホテルに荷物を預けたままポールに招かれて彼の運転でベルギーのアントワープに3日間遊びに出かけました。当時はまだEUの前のECと言っていたと思いますが、車でパスポートを提示するだけで国境を通り過ぎるというのが日本人にとっては若干カルチャーショックでした。その時のパスポートにはフランスの出入国のスタンプはありますがベルギーに行った記録が残っていないのです。
 

しかしOrfit社で受けた歓待やショールームの見学、そこにはポールが作成したスプリントのバリエーションに驚かされ、廃材を利用したインテリアやアクセサリーに感心したものです。のちのちアイデア拝借で私もスプリントの切れ端材料で小児の患者さんにヘアピン、指輪、ブレスレットなどを作っていました。
 

中世ヨーロッパの歴史豊かな街アントワープをポールやOrfit社の方々が毎日案内して下さり、フランダースの犬が到着した教会とその壁画、有名チョコレート会社の本社と工場それに牧場、ちょっとドライブして美しいブルージュでの川下り、今でも鮮明に覚えています。ボスのポルシェでの時速200キロは快適でした。
 

お子様がいらっしゃらなかったと伺っていますが、奥様のMiaさんと仲睦まじく、ほのぼのとした雰囲気でした。Congress dinnerで私が着用した和服をツーピースにアレンジしたドレスを気に入って下さったのでプレゼントしてきました。後日着用された写真を郵送してくれました。

ベルギー アントワープにて Paul氏と奥様のMiaさんとディナーで

Orfit本社 訪問当時CEOのSteven CypersのPorcheと共に

Miaさんが気に入られた Congress Dinner用の和風ドレス

As Always, Paul・・・

1995年にはやはりフィンランドでの学会終了後にポールを訪ねて世界のダイアモンドセンターのアントワープでポールの幼馴染が経営しているお店で帰国後日本から送金するということで1.99カラットの指輪を買いました。「ポールの友達値段にして」と頼むと「親戚値段にしたいのだけれど・・・」(笑)と言われました。今でも宝物のダイアモンドです。
 

本当にもう一度会いたかったです。私の心のダイアモンドPaul Van Lede、技術も話術も理論もそして人柄も。
あなたに出逢えて良かったです。
安らかにお休みください。
 

As Always, Paul・・・・

 

椎名 喜美子 : 医学博士・作業療法士・認定ハンドセラピスト
元職 : 都立広尾病院整形外科
昭和大学保健医療学部作業療法学科 教授
帝京科学大学医療科学部作業療法学科 教授

パシフィックサプライ㈱代表 川村慶 追悼メッセージ

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