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パシフィックニュース

ターボメドとともに夢に向かって卓球に打ち込む日々

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ターボメドとともに夢に向かって卓球に打ち込む日々

東京都 H・Tさん

2019-01-15

スニーカーに簡単に取り付けができ、靴のつま先を持ち上げて歩行や運動をサポートする歩行補助具ターボメド。今回は、ターボメドに出逢いさらなる夢に向かって卓球に打ち込む息子さんの日々を、お父さまにご寄稿いただきました。

息子の人生を変えた卓球との出会い

中学3年生の息子(長男)は、生まれつき右半身に障害を抱えて生まれました。

15年前のある日のこと、私はふと、彼がほとんど右手を動かさないことに気づきました。生後3ヵ月頃のことだと思います。
気づいた瞬間から世界は180度変わるものです。私は言いようのない不安に襲われました。目の前で起きていることを気のせいだとは思えなかったからです。医学の素人から見ても、これは何かの問題があると感じたのです。

その後、頭部のCTスキャン、頭部と頸部のMRIなどの検査を受けましたが、明確な問題は見つかりませんでした。「問題がないのであれば、いずれ良くなるかもしれない」という淡い期待は裏切られ、4度目の検査の後に医師が発した言葉は非情なものでした。
「この子の右手・右足は一生動かないと思います」
病院からの帰り道に立ち寄った喫茶店で、妻は涙をぽろぽろと流しました。彼女が息子の障害のことで泣いたのは、この時が最初で最後でした。
 
息子は素直にすくすくと成長していき、少しずつ歩行は上手になっていきました。傍から見ていると、自分の背負った障害に対するコンプレックスはあまり感じていないようにも思えました。
小学校低学年の頃にはサッカーに興味を持ち始め、2人でボールを蹴って遊びましたが、やはり上手にはできません。私は「この子はスポーツとは無縁な人生を送るのだろう」などと勝手に決めつけていました。

そんな彼に最初の大きな転機が訪れたのは、小学5年生の時でした。近所の児童館で遊んでいたところ、同級生が「いっしょに卓球やろうよ」と誘ってくれたのです。友達とスポーツができることが本当にうれしかったのでしょう。息子は今でも、その時の様子を興奮気味に話してくれます。そして、人生はちょっとしたきっかけと縁で大きく変わっていくものだと、あらためて家族で思い返すのです。なぜなら、それが彼と卓球の運命の出会いとなったからです。

その日以来、卓球の魅力にはまった彼は、暇さえあれば動画サイト「YouTube」などで卓球の動画を観ては世界の一流選手のプレーにあこがれ、自分から情報を集め始めました。私たち夫婦は、彼にはできるだけ多くの経験をさせたい、どこまでできるかわからないけれど、とにかく親としてできる限りのサポートをしてあげたいと考えていました。

まず彼は地元の卓球クラブに入部しました。さらに東京都調布市にある名門の少年卓球クラブにも、臆することなく飛び込んでいきました。小学4年生の夏休みから乗れるようになった自転車を駆って、週に3日クラブに通い、熱心に練習をするようになったのです。正直なところ、これには驚きました。まさか息子がスポーツをしたいと言い出すとは思いもしなかったからです。私は「練習についていけないのではないか」「長くは続かないのではないか」などと勝手にネガティブな心配をしていました。

しかし、そうした考えは杞憂に終わりました。中学校に上がっても、彼はそのまま卓球クラブでの活動を継続しました。素晴らしい指導者にも恵まれ、中学2年生の8月にはパラリンピックの東京都育成選手にも選出されました。

この頃からアスリートとしての意識が高まり、自分からダイエットと筋トレを開始し、肉体改造に取り組み始めました。私は、そんな彼を頼もしく感じていました。

 

さらなる成長を求めた先にあったターボメドとの出会い

その年の12月、日本パラ卓球の最高峰である「国際クラス別パラ卓球選手権大会」に初出場しました。予選はなんとか通過したものの、決勝ラウンドの1回戦で敗退。全日本のレベルの高さに驚愕し、強豪選手たちのプレーに圧倒された大会でした。親子ともども、まだまだやるべき課題が多いことを実感し、大きな学びと刺激を得ることができました。

ちょうどその頃、卓球クラブの監督から運動量が増えた息子の足への負担を心配され、補助具の使用を勧められました。右足にまひが残る彼は足首を上手く反り返すことができず、また足を地面に着地させる時に内反してしまうため、足への負荷が大きいという特徴があるからです。
小学生の頃に補助具を使っていた時期もあったのですが、重かったことと、どうしても見た目が目立ってしまい本人が嫌がったために、途中から使うのをやめてしまったという経緯がありました。しかし、卓球のレベルアップのためにも、新たな補助具の必要性を私たちも感じていたところでした。
 
私たちが補助具に求めたのは次の4点でした。

  1. 卓球の激しいプレーでも使用できるもの
  2. さらなる運動能力の向上が期待できるもの
  3. 日常の歩行もサポートできるもの
  4. 見た目に違和感のないデザイン性
妻がいろいろ調べたところ、2016年リオデジャネイロ・パラリンピックの卓球日本代表・岩渕幸洋選手が、ターボメドを使用していることがわかりました。(注:日常生活にてターボメドを使用)そこで辿り着いたのが、パシフィックサプライ社のホームページでした。

ターボメドのプロモーションビデオを見てみると、軽量かつシンプルな作りで使い勝手の良さを備えながら、耐久性も併せ持っているように感じました。早速、息子にも見せてみると、ターボメドを装着したモデルの男性が岩場を軽々と登っていく姿に驚いたようで、自分も使ってみたいと言いました。

そこで私たちは息子の日常生活の向上と卓球選手としてのさらなる成長を期待し、自宅からもっとも近い取扱代理店であるアライヴワーク株式会社(神奈川県伊勢原市)に、ターボメドの依頼をしました。2018(平成30)年3月のことです。
 
実際に本人が使用して感じたターボメドの特徴は次の通りです。
  • 歩行において地面をキックする時に、ターボメドが生み出す反発力がつま先を持ち上げてくれるので、ラクに歩くことができる
  • 足から生まれる推進力が全身に伝わり、スムーズに歩くことができる
  • 軽さも大きな魅力。子供の頃に使用していた補助具はとても重かったので、比較すると段違いの軽さが快適で、一気に虜になった
また、卓球のプレー時に装着した本人の感覚は次のようなものです。
  • 床を蹴る力がターボメドにサポートされ、素早い動きができるようになった
  • 左右のバランスが改善され、下半身が安定した
  • 着地時に内反するため右足の外側が受ける衝撃が強く、痛みを感じることがあったが、正しく着地することができるようになり痛みが軽減された
卓球は他のスポーツと比べても繊細な感覚が求められます。動く距離は少ないものの、細かな重心移動と左右の反復運動、それにバランスとスピードが重要です。私たちから見ても、ターボメドは卓球のプレーにおいて威力を発揮しているように感じます。

登下校時はもちろん、学校内でも常に装着し、日常の歩行も目に見えてスムーズになりました。卓球の遠征などでは移動中も試合中も肌身離さず、息子にとってかけがえのない相棒のような存在になっています。

多くのサポートに支えられ挑戦し続ける日々

ターボメドを使用するようになってからは、戦績も向上しました。本人の日々の努力も実を結び、2018年はパラ横浜大会で3位、関東大会ではベスト8の戦績を残すことができました。高校受験のため出場できる大会が限られてしまいましたが、今後もさらなる挑戦は続きます。

志望校を決める際、高校の3年間で何をしたいのかを彼に問うと、「もっと卓球がしたい。できるだけ卓球の強い高校に行きたい」と言いました。この子は本当に卓球が好きなのだと私と妻は再認識し、今後もできる限りのサポートを続けることを約束しました。もちろん、勉強にもしっかり取り組むことを条件にしたのは言うまでもありません。
 
私たち家族にとって、息子が生まれてからの15年間はけっして平坦なものではありませんでした。しかし今、あらためて思うのは、多くの方のサポートに支えられてここまで来ることができたことへの感謝の思いです。ターボメドと出会わなければ、息子の人生は違ったものになっていたでしょう。縁の不思議さをしみじみと感じます。
小学5年生の次男も卓球に打ち込む兄の姿に刺激を受け、昨年から卓球を始めました。2人がプレーする姿を見ることは、親としての大きなよろこびでもあります。

私たち家族は、これからも多くの出会いとサポートに感謝しながら、「日の丸を背負う選手になる」という息子の大きな目標に向かって、一歩ずつ進んでいきたいと思っています。

 

ティモ・ボル選手(オリンピック・ドイツ代表)と共に

左の動画は、「快適な歩行をサポート!ターボメドユーザーさまの声」パシフィックサプライホームページより掲載しました。