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パシフィックニュース

風を感じて駆け抜ける! 61歳の両義足ユーザーの挑戦

義肢

風を感じて駆け抜ける! 61歳の両義足ユーザーの挑戦

パシフィックサプライ株式会社
事業開発本部

2021-06-15

東京パラリンピック出場選手など国内から200名以上のアスリートが参加する「2021ジャパンパラ陸上競技大会」まで2週間を切った日の昼下がり、最終調整となる練習の後に木下幸彦さん(61歳、両下腿義足。フレックスラン使用)がインタビューに応じてくれた。
 
障害者陸上の最高峰である同大会へは、昨年は新型コロナで中止になったため2年ぶりの参加だと、待ちきれなさを隠せない笑顔を見せる木下さんが、初めて義足で走ったのは2011年。50歳を迎えた頃だった。そこから義足で走り続け、一流のアスリートと同じトラックに立つまでに木下さんを突き動かしたものは一体何なのか、を尋ねてみた。


 

御年61歳。目標は毎年自己ベストを更新して成長すること!


スポーツ用義足を初めて両足に着けて10年以上経ち、今も新記録を出したいと走り続けています。
​1年に1回は必ずその記録を更新して塗り替えたい!それを最大の目標に掲げて日々の練習を重ねています。​
  
  < 現在の自己ベスト >
   ・100m 16秒35
   ・200m 35秒98


―木下さんの走られている動画を拝見しました。競技場で選手名がアナウンスされ、スターターが号砲を鳴らしレースが始まる…緊張が伝わってきます。ただ趣味で走るのではなく、なぜ競技大会に出ることを選ばれるのですか?

陸上は自分にとって一番の「道楽」です。還暦を超えると、夢中になれることはあっても、自分の成長を目にできる機会ってなかなかない。それが、陸上だとタイムを0.1秒縮めるというわかりやすい目標を目指し続けられます。遠征で全国各地に行けるのも部活みたいで楽しいしね。新記録達成は悲願です。2年前に岐阜で100m、16秒35で走れてめちゃめちゃうれしかった。こんなに感動できることは陸上競技以外にはないですよね。第一線で活躍する世界レベルの選手のタイムには遠く及ばないけど、同じトラックに立てるってすごいこと。全国の競技仲間と仲良くなれるから、日常の義足の情報交換もできるんですよ。
 
いまT62という障害クラスにエントリーしているのは僕を入れて2人だけ。もう一人はパラリンピック出場を目指すようなすごい選手ですが、僕だって御年61歳で試合に出てるレジェンドだよってことは言えます(笑)「木下さんが競技を続けている限り止められない」って言う年下の選手もいますからこれからも頑張らないと。とにかく自分のベストが出せるよう、気持ちよく全力で走ることを心がけています。


 

僕は運が良かった。運命の義肢装具士に出会えたから


―義足で走ることを始めたきっかけは?
 
1987年12月にバイクで自損事故を起こして両足を切断しました。不幸中の幸いだったのは、夜間に救急搬送された時には意識がなかったんですが、たまたま整形外科のお医者さんがいて、義足歩行が優位にと両膝を残して切断してくれたことです。
 
当時は義足のリハビリ訓練が十分にできる病院が今ほどありませんでした。でもラッキーなことに、実家の近くに義足訓練がしっかりとできる神奈川リハビリテーション病院がありました。年が明けた2月にそこに転院して、切断端を整える手術を受けてから本格的な義足の訓練を始めることができました。
 
さらに僕は運が良くて、初めての義足処方で運命の出会いがありました。義肢装具士の高橋茂先生。僕を義足で走る世界に引き入れてくれた張本人です。現在まで何度も義足を作り変え、30年以上お世話になっています。この奇跡的な出会いのおかげで今があります。僕は両足がないけど、高橋先生は足を向けて寝られない恩人です(笑)
健常者と切断者が一緒にスポーツを楽しめる団体「タカハシ・スノー・アクロバッツ」略してTSAに「お前も来ないか」と誘ってもらったのがスポーツをするきっかけになりました。 
スキーデビューでは、日常用の義足にスキー板をテーピングでぐるぐる巻きに固定して滑りました。ソケットが外れて、義足とスキーの板がゲレンデを滑り下りて、他のお客さんがびっくり仰天なんてこともあって、転びまくったけど、おもしろかったなあ。
 

―TSAの仲間とのさまざまなアクティビティが、義足で走る今の道に続いていくのですね。
 
義足に負担もかかるし大変なんだけど楽しいから。TSAでスキー以外にもバドミントン、野球とほいほい参加してました。スポーツ後の飲み会も大好き。TSAのおかげで、義足で楽しむ機会と仲間が人生に加わったんです。


 

「自分が走れる」ということをなぜ長い間、忘れていたんだろう


TSAに参加しているうちに、義足でどうやって走るのかもわからないのに神奈川県の障害者スポーツ大会に出ることになりました。板バネのスポーツ義足なんて持ってないから、普通の義足で走りましたよ。すると100mを22.3秒で走れた。

そこで「走れるな」って手ごたえをつかめたんです。自分が走れることを長い間すっかり忘れていましたが、同じように「俺、走れるんだ」って衝撃を受けた中学時代の思い出が、オーバーラップしてよみがえった瞬間でした。
 
実は、小学校時代は病弱でほとんど運動ができなかった僕が、中学に入って最初のスポーツテストで、50mを走ったらなんと3位だったんです。それまで走る機会もあまりなかったから体力や運動能力に全く自信がなかった自分に、実は走る能力があると初めて気づいた瞬間でした。先生にも「木下は運動能力があるよ」って言われて、運動会でリレー選手に選ばれました。「俺、速く走れるんだ」って自信が持てたのがものすごくうれしかった。
 
大会で走ったおかげで、その時と同じような高ぶる感覚と数十年ぶりに再会できたんです。


 

顏に風を受けて「走ること」を全身が感じたあの日


初めてスポーツ用義足で走った時のことは忘れられません。
走りだすと風がスーッと顔に当たって、それは歩いている時に受ける風とは全然違う感覚。
「ああ、俺走ってるんだ!!」って感動しました。日常用の義足で走るのとは次元が違う。義足を履いてからそんな感覚は初めてでした。

 
―そこから、走ることが木下さんの人生にとって大切な要素になったんですね。
 
両足を切断する以前の感覚が一瞬でも取り戻せたのがすごくうれしくて、陸上を続ける決意をしました。
その頃、両親や兄貴を介護、看病する生活がはじまっていたのですが、走っている間だけはその大変さを忘れられるのも大きかったなあ。


 

どんどん陸上競技にはまっていった10年間

他の義足ランナーと共に陸上部で練習を重ねるうちに、ハイレベルな障害者陸上大会の100m走にエントリーしましょうよって、誘われて出場することになりました。パラアスリートが集まるような大会で、結果は惨憺たるものだったんですが、そこで負けず嫌いに火が付きました。

3回目くらいの大会で当時の両足義足クラスの記録(17秒台)を塗り替える新記録を出せたんです。もう大騒ぎですよ。だけど1か月後には他の選手が14秒台を叩き出してね、僕の記録保持期間はほんの一瞬だったけど(笑)

とにかく、全国レベルの大会への出場を重ねてどんどん競技としての陸上にはまって、ここまで陸上競技を続けることができました。

現在は、オズール社のフレックスランを愛用しています。接地面が広くて僕には一番マッチしてますね。



パシフィックサプライの3カ月レンタルを繰り返して4年になります。メンテナンスのことを考えると、僕にとっては購入よりレンタルの方が利点があると思っています。
 



 

義足で走ることが、特別ではない時代がやってきた


障害者がスポーツするのが特別ではない時代になっています。パシフィックサプライのようなメーカーによるバックアップや、マスコミの報道のおかげもありますが、障害者スポーツに関する機運や認知がこれほど高まるとは思っていなかったので、正直驚いています。 

今は、「かっこいい!僕もスポーツ用義足を履いてみたい!」そんな気軽な気持ちでチャレンジできます。義足で走るのをサポートしてくれる団体も全国に13ほどに増えました。義足生活の先輩がいて、老若男女が楽しみながら、新しい仲間を受けて入れてくれる土壌が広がっています。陸上だけでなく、ラグビーでもバスケでもサッカーでも、文化的なことでも切断者がトライできる居場所はこれからもどんどん増えていくでしょう。
東京パラリンピックの開催を控えて、義足ランナーも随分と増えました。大会も昔は関係者しかいなかったけど、今はスポーツとして楽しんでくれる一般の観客も多くなり、予選を実施するクラスもできました。インターネットで生配信される大会もあって、義足アスリートに光が当たるようになりましたね。



 

義足ユーザーの選択肢をこれからもっと広げていくために


義肢装具士養成校の実習で義足モデルとして協力しています。そこでTSA陸上部の話をすると、興味を持った学生さんは練習に顔を見せて、応援してくれます。将来、日常生活以外の人生を楽しむ提案ができる義肢装具士になって、義足ユーザーが諦めずにいろんな活動から好きなものを選べることを教えてあげてほしいですね。
 
僕は周りからの「走れますよ」の一言に背中を押されました。障害者スポーツを特別なこととしてハードルを上げないで、いっしょに遊ぼうよ、楽しいよって気軽に誘ってあげて欲しい。そして勇気を出して初めてチャレンジした時は、周りが思い切り褒めてあげてほしい。そうやって、一緒にスポーツを楽しめる義足の仲間が1人でも2人でも増えたら素敵ですよね。
 
スポーツ用義足は高価ですが、義足で走ることが一部の切断者だけが叶えられる特別な体験ではなく、気軽な運動として楽しめる環境作りに貢献したいです。パシフィックサプライのランチャレイベントにも参加したことがありますが、義足で走ることにチャレンジできるよい機会のひとつですよね。
 
いまは新型コロナの影響で少し活動が制限されているけれど、感染拡大の収束が見えてくればもっと障害者の活動場所が増えていくでしょう。
 
水泳の池江璃花子さんやゴルフの松山英樹さんの活躍にみんなが勇気をもらっているように、スポーツには力があります。
僕たちが頑張っている姿も、少しは周りに希望や明るさを与えられるものだと思っているんです。

 


 

取材後記


木下さんから「僕は運が良くて」「ラッキー」という言葉が取材中、何度も出てきた。大会に出て走り続ける原動力は、木下さん自身の前向きさと、ポジティブな考え方が引き寄せた数々の仲間の縁ではないだろうか。
陸上は道楽だと笑い、自己ベスト更新の目標を胸に走り続ける姿が、知らず知らずのうちに周りを勇気づける存在になる。まさにレジェンドだ。
コロナ禍でストレスや不安に襲われ、生きづらさを感じる人々は少なくない。木下さんの生き方は、楽しんで諦めなければ限界は突破できるし、出会いは繋がり広がっていくものだということを教えてくれる。
木下さんが初めてスポーツ用義足で走った時に顔に当たる風を感じて、もう一度走れるというしびれるような感覚を取り戻したように、私たちも小さなチャレンジをすることで、忘れかけていた大切な感覚を思い出せるかもしれない。
 
今後も義足ランナーが増えていくなかで、木下さんには走る喜びを伝える象徴的な存在として活躍し、ぜひ自己ベストを更新し続けてほしい。

 
(取材)スイッチ・オン 平野亜樹


 

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