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パシフィックニュース

震災特集 2

震災特集

震災特集 2

?田村式義肢製作工業所(仙台市) 義肢装具士 内田 源生

2011-10-01

現地からの報告  2011年8月 ㈱田村式義肢製作工業所(仙台市)

3月11日の大震災から数ヶ月が経ち尚、薄れない記憶が治まらぬ余震と原発のニュースで未だ鮮明さを保っています。今回の震災は被災の幅と、地震・津波・原発により様々な被害を私たちにもたらしたのはもう周知であると思います。地震直後の事はもう何回も話してきましたが親しい友人、知人に会えば少なからず話されてきた被災の話も少なくなって来ています。今回は当時の状況や思いを書かせて頂きますが、あくまで私個人とその周りの方達の状況報告に過ぎません。メディアでは報道されない悲惨な話は他にも数え切れないほどあります。隠す必要はありませんがそれを伝える事よりも、皆で前を向き現状を理解し、受け止め復興を目指す事の方が私たちには大切なのだと思います。ただ忘れてはいけない真実があり報道が全てではない事を理解して頂ければ幸いです。

『この地震長すぎる・・・』直後ただそれだけを思いながら泣き叫ぶ高齢の来客を覆うように抱いて蹲っていました。スタッフが『この地震終わらないから揺れていても外に出よう!!』と来客を背負って駐車場にでました。通行中の車両も全て停車し、近隣のビルの人々も一斉に外に出てきて身を寄せ合っていました。ガタガタと突き上げるような揺れが続くなか車のラジオを点けると『津波に注意』と連呼しており携帯の電話・メールは回線混雑で使用出来ず、更にこれを待っていたのかと思わせるように空からは真っ白い雪が。しばらくすると至る所でサイレンが鳴り響き≪天変地異≫だと声には出さない心の声で皆が思っていたと思います。

序章などと云う台詞を使うのはおかしいですがそれは日本全体を巻き込む未曾有の苦難の始まりでした。電気・ガス・水・ガソリン等のライフラインが全て断たれ、スタッフの何人かは津波により家族・親戚そして住居を失いました…。圧倒的な自然の力の前で人間は無力かつ非力であると冷静に思うのはただ私が被災の軽い立場で遠くから分析していたからと後に思い知らされました。

津波は、人・家屋を巻き込みながら沿岸部を蹂躙していき、加えて津波による火災や引き波による被害等は想像すらもしていませんでした。当時、自衛隊は可能な範囲ではありますが迅速に動いたのだとおもいます。それでも被害地域が広大だったのでしょう、知人から語られた話はそれを如実に感じさせました。


引き波が去った後、壊滅的状態が露わになった街を高台や避難所から見る頃にはもう日も沈み始める時間だったそうです。その時点で全ての被災地域に自衛隊が駆けつけられるわけではなく、皆、避難所でその夜を過ごしました。遠くのコンビナートが炎をあげる以外は明かり一つない真っ暗な夜、瓦礫の中から家族や恋人に助けを求める声や、言葉にならない叫びや呻きが至る処から聞こえてきたそうです。漆黒の街の中へ救いにも行けずそのかすれそうな声は今も耳から消えないそうです。

沿岸部で義足を流されたユーザーの方の採型に訪れた際に避難所で周囲の人から『何にもしないでおまえは足がなくて羨ましいな』とイヤミを言われたと聞かされました。その方は『仕事もない状態で優先的に仮設住宅に入居出来ても生きていけるか分からない。それなら誹謗中傷を我慢して避難所にいたほうが良いのかもしれない』と呟かれていました。そのイヤミを言った人もお互いが被災者であり悲惨な状況下で避難所のリーダーを任されて親族等の安否確認も儘ならない状態だと聞くと、私はただただ話を聞くことしか出来ませんでした。

しかし、まだ義足を処方してもらえる状態の人はマシなほうで、沿岸部の施設から知人を頼り被害の少ない施設に移られてきた透析患者の方々は、まともな治療が受けられない状態で足がパンパンに浮腫み、履ける靴がなくなり難儀しておりました。その施設のスタッフもまた電気の来ない状況下でエレベーターすら使えず階段で患者さんを移動させる事により皆、腰や手関節を痛め、どうにかならないかと相談に来ました。幸いにも各メーカーや他県の同業者の方々からの支援物資により簡易コルセットやリハシューズ、各種サポーターをお渡し出来ました。小児用、老人用の紙オムツの用意はありますが中人用の紙オムツは申請しないと手に入らない、そんな時に支援物資として中人用紙オムツをお渡しできたお子さんの父兄様からは大変喜ばれました。震災間もない時に個人の呼びかけに動いてくれたメーカーや同業者の方たちには感謝頻りであります。

現地写真

被災地にも平等に暑い夏が始まり、それが過ぎると厳しい冬が待っています。
行き着く先の幸せではなく安定した日常を取り戻すために皆が足掻いてもがいています。『百聞は一見に如かず』と言いますが、メディアで流されている現状の一端しか切り取っていない画像と、実際の圧倒的な光景を見るのとでは雲泥の違いだと思います。これを読む皆さんにどんな状態の地域が復興の為に頑張っているのか一度で良いから見ていただけたらと思います。

最後に、知り合いの自衛官から言われた言葉です。
『どんなに困難で絶望的な状況になっても決して諦めないでほしい。諦めたあなたを諦めずに探し続ける家族・恋人・友人そして私たちがいる事を少しで良いから頭の片隅に置いておいて下さい。』

宮城県:大谷海岸周辺にて

postgresグループの復興支援

postgresグループは震災後、被災地へ向けて下記の活動を実施してまいりました。
日々変わる状況へ対応する事の難しさを感じながらも、現地の方々からの発信やご要望を傾聴しながら
私たちの活動を続けております。
復興へはまだまだ長い時間と労力を要しますが、私たちは必要な方へ必要なものが届き、
最良な状態が続くように、物品やセミナーを通じ被災地の方々への支援を続けて参ります。

2011年3月
●中人用紙おむつを手配、パシフィックニュース読者への案内、ご希望者へ送付。
2011年4月
●バリアフリー展(大阪)にて即売会を実施。売上金を義援金として寄付。
●ご使用されていない福祉用具を支援物資として募集、リリース。
各地より届いた福祉用具(約100点)メンテナンス後、被災地に送付する活動を開始。
●マイラ社より支援物資送付の申し入れに対し、車いす・入浴いす・歩行器を要請。
2011年7月
●東北地方中心に各種セミナーの再開。
●車いすイベント ?シーティングセミナー ?義足研修 ?移乗用具研修 ・AACセミナー
2011年8月
●マイラ社より20フィートコンテナ到着。検品後、ご希望者へ発送。

支援物資送付
上記の活動を通して24箇所の方々へお送りいたしました。
紙おむつ 12箱 10箇所
車いす 12台 10箇所
歩行器 3台 3箇所
杖 44本 1箇所(日本義肢協会東北支部さま)
その他福祉用具 3台(トイレ・シャワーイス)

支援物資ご希望の方は下記にて受け付けております。
アドレス
shien@p-supply.co.jp
法人・個人は問いません。

支援物資

マイラ社からの支援物資搬入