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震災特集 8

震災特集

震災特集 8

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国保旭中央病院(千葉県 旭市) リハビリテーション科部長 藤本 幹雄

2013-04-01

被災地でのリハビリ支援

リハビリテーション支援団体「face to face 東日本大震災リハネットワーク」の活動をご存知の方も多いのではないだろうか。震災直後、Twitterが迅速な情報網としての役割を担っていた。被災地から溢れるツイートの中で「face to face」の発信は多くの注目を集めていた。リハビリのセラピスト達で結成された支援団体は、当時の被災地のリハビリ難民の方々の大きな光になったに違いない。

今号から2号に渡り、「face to face 東日本大震災リハネットワーク」の代表を務められているリハビリテーション専門医師の藤本幹雄先生に当時の被災地の現状をありのままに報告していただく。

「face to face 東日本大震災リハネットワーク」は、有志のリハビリテーション専門職者(リハビリテーション専門医師、理学療法士、作業療法士、言語聴覚士)を中心に、栄養士、保育士、ボディーワーカー等も参加する、災害リハビリテーション支援団体です。

震災後早期に千葉県旭市で支援したケース

千葉県旭市は千葉県北部にある、人口7万人の街である。旭市においては、死者13名、行方不明者2名、中軽傷者12名、住宅の全壊336棟、大規模半壊434棟、半壊510棟、一部損壊2443棟と、関東地方では突出した被害があった。私は、 3月14日より避難所へのリハ調査・介入を開始した。3月15日に避難所をリハ医が巡回したときには、避難所生活者700名程度のうち、歩行やトイレ、移乗等に介助を要する避難者が5名いることがわかった。

介助を要する避難者のうち1人は70代の右下腿切断の患者さんで、津波により溺水しかけたが、なんとか引き上げられて助かったとのことであった。下腿義足は偶然装着していたので流失せずに済んだのだが、断端袋が流失したためにソケットの不適合を起こしており、歩行介助具として使用していた歩行器もなくなったために、車椅子上だけでの生活を強いられていた。私が訪問した時点で既に非切断側の下肢の筋力が低下しており(頚髄症も併存していたために、より不活動による筋力低下を起こしやすい状況であった)、早急な対応が必要と考えた。

まず、病院に戻り、当院に通院中の他の下肢切断患者さんに電話をして、断端袋を義援物資として提供可能かどうか確認したところ、その患者さんはガソリンが貴重である状況にもかかわらず、快く病院まで断端袋を届けてくれた。義足を再適合することで、支援を受けた患者さんは手すりでの立位が可能となり、当面の間は保健師や家族とともに避難所で起立訓練を行うこととなった。数日で下肢筋力が向上し、当院とつながりのある義肢装具業者(群馬県のブレースメディカル社)から歩行器を提供していただき、屋内歩行が可能となった。

私が地元の旭市で活動を行っていくうちに、「被害が甚大であった東北沿岸部においては、より補装具やリハビリテーション関連の支援が必要であるに違いない」という思いが芽生えてきた。そして、全国から同じような思いを持つリハビリテーション関連職種が自然と集合し、リハビリテーション支援団体「face to face 東日本大震災リハネットワーク」が組織されていった。

雄勝町から始まった石巻での活動

「雄勝町はすでに石巻市に編入していますけど、石巻市の一部だという認識はもたないほうがよい、辺境の地ですよ」
千葉県を出発する前に、石巻出身の知人がそのように助言をしてくれた、その雄勝町から私の東北での活動は始まった。雄勝町のもともとの人口は4300人であったが震災により平成23年7月の時点で1000人にまで減少していた。

平成23年7月下旬、石巻のホテルを出発してから北上川の崩落しそうな河川敷を通り、トンネルに達するまでに40分程度はかかったであろうか。そして、雄勝町に入るトンネルを抜けた瞬間に、直観的に何かが変わったような空気を感じた。その雰囲気の要素は何か、冷静に分析してみると、道路の路面状況が悪いことや、ガードレールがグシャグシャになっているままであることなどが影響しているのかもしれない。雄勝町に入ってからは山の中の一本道を進んでいくとすぐに雄勝湾に到達する。

雄勝湾にぶつかると、そこはかつて雄勝町の中心地であった場所である。しかし、学校や公民館などは廃墟となり、その周りの広大な土地に山のような瓦礫が集められている。そして、多くの重機が作業をしている。大きな公民館の屋上には大型バスが乗っかっている。

そのまま車を進めると、道は雄勝湾の形に沿って右折する。しばらく進むと、今度は雄勝病院が左に見えてくる。その3階建ての白い建物は壁面が傷み、1階部分は海に平行な壁がなくなり、奥の駐車場まで突き抜けている。この雄勝病院は雄勝町の中でも特に悲しい場所の一つである。巨大な津波は、3階建ての病院の屋上に避難していた40名の入院患者と24名の医師・看護師の生命を奪ったそうである。当時病院に居て生存した職員は裏山に避難した事務職員たったの6名だと聞いている。

雄勝町でのリハビリテーション支援

私は、全国各地や一部は海外からも集まった理学療法士・作業療法士などと合流してリハビリ支援活動を開始した。雄勝町における我々の活動の拠点としていたのが、特別養護老人ホーム雄心苑である。震災により、入所者である要介護の老人たちは山形県の施設に避難していた。そして、雄勝中心部で完全に被災した石巻市の雄勝総合支所が、その雄心苑に行政機能を移転していた。そのせいで、雄勝唯一のデイサービス(通所介護)施設でもあった雄心苑のデイサービスが中止されたまま再開のメドが立っていない状況でもあった。

雄心苑に移転した総合支所の福祉課の職員たちは、土曜日、日曜日も出勤体制を続けていた。3名しかいない保健師も誰かが必ず休日にも出勤していた。彼女たちは町に住んでいる高齢者や障がい者のことを良く知っており、我々が連携する最大のパートナーであった。彼女たちからの情報を基にして避難所や仮設住宅、一般の民家などを訪問することが多かった。

雄勝町では直接家屋被害を受けていない要介護者においても、直接的な被災者と同様に大きな問題が生じていた。雄心苑のデイサービスが休止しているため、それまでデイサービスでの運動によって活動量を保っていた要介護者の身体機能が低下していたのである。また、「杖のゴム足がすり減っていて滑りやすい」などの専門家であれば容易に解決可能なことであっても現場に資材がないために私のところに相談が来るようなこともあった。生活期のリハビリテーションの場であったデイサービスが休止していることにより、患者さんにとってそのような相談の窓口がなくなっているということも問題であると考えられた。

そこで、我々の第一の活動目標を「雄心苑のデイサービスが再開するまでの間、ボランティアで生活期のリハビリテーションを提供すること」として活動を行うこととした。

雄心苑でカルテ記載をしながら情報共有を行うメンバー

雄勝町の要介護者にみられた杖のゴム足の摩耗(左)

補装具に関する支援の必要性

雄勝町での活動が住民や行政に評価されていくにつれて、雄勝町から石巻市街地の仮設住宅に避難している障がい者のことなどを我々が相談を受けることも多くなっていった。それらの相談の中で特に私自身が直接対応しなければならないことが多かったのは、補装具、特に装具の適応や適合に関することであった。

津波で下肢装具を流されたという脳卒中後遺症による片麻痺の患者さん(仮設住宅で生活中)は、「避難所で『もう使用していない』という他の避難者からプラスチックの短下肢装具を譲り受けて半年使用しているが、装着すると痛くて歩けないので、ほとんど歩かない生活になった」とのことであった。診察したところ、装具は不適合であり再処方をすることとなった。処方から約1カ月後に適合した装具が完成したときには、患者さんは大変喜んでおられた。

当時は治療用装具も被災者医療費減免措置により無償で処方できたことは幸いであったが、震災後半年以上経過してなお、必要な装具の提供がなされていなかったという事実は今後の災害に活かすべき課題であると思う。災害が起きてから早期にリハビリテーションの視点からの支援ニーズをスクリーニングするシステムが求められているのではないだろうか

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