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パシフィックニュース

震災特集 6

震災特集

震災特集 6

川村義肢株式会社 車椅子・姿勢保持課 車いす安全整備士 大西 弘

2012-10-01

目に溢れる涙から全てが察せられた。強い波動を感じた。今号パシフィックニュース震災特集への原稿を、車椅子のメンテナンス技術支援で現地へ向かった、同僚の大西主任技師に依頼した時の事である。言葉にならない想いが、被災地へ向かった1年後の今も胸に沈殿している。その波動を我社社員の記録として小誌に残しておきたいと思う。

10年後、20年後、『3・11の震災の時、あなたは何をしましたか』と後世に問われた時、何を自分は語るのであろうか。メディアからも、被災地のニュースが薄れかけている今、改めて考え直したい。被災された状況も多様なように支援の形も多様にあるはずだ。この記録は、2011年10月の記述である。3月の震災から半年後の被災地。それから1年後の今日。為すべきことを見誤らないためにも、経過を記録し、振り返り、またこれからの被災地と向き合いたい。

被災地『宮城県』からの視察報告

10月12・13日の、JASPA『東北復興車いすメンテナンス』に参加してきました。『東北復興車いすメンテナンス』について、私なりの想いを少し話させて下さい。4月29日の「車いす安全整備士講習会」のナイトセッションの場で『被災地からの報告』ということで、宮城出身のAさんの話を聞きました。彼の話を聞きながら、自分に出来ることを考えましたが正直「義援金」の言葉しか、その時は浮かびませんでした。
環境が整っていない・モノが無い・状況が判らない・・・・・。
『自分にしか出来ないこと』は何かを考えました。どのような状況下にあっても、仕事が出来て、必要な情報を持ち帰ることは出来るはず。もっとも自分が得意とすることです。支援物資の車いすの調整や、現地の車いすの修理や技術指導など自分にできることが頭をよぎりました。

「自分が行けばいい」単純な発想でしょうが、あの時「彼らのために」という想いしかなかったことが正直なところです。秋田から来られていた早瀬さん、宮城のAさんに、その時、復興のお手伝いを約束しました。秋田の早瀬さんの右腕に「tohoku-kanto 3.11復興」のワッペンがありました。このワッペンにそれぞれの想いを込めて別れました。それから、6か月後の現地入りです。

正直、Aさんと会うことが不安でした。「がんばれ東北」なんて言葉では簡単です。現地のことを考えると単に「がんばれ」の押し売りで、彼らの負担を増す行為なのかも知れません。複雑な心境で、待ち合わせ場所でAさんを待ちました。

しばらくして、Aさんが到着しました。私が彼に声をかけると同じタイミングで右腕をこちらに向けワッペンを指差して元気に「付けていますよ~!」と笑顔が返ってきました。嬉しかったです。涙が出そうでした。あきらめずに、頑張っていることがそれだけで十分に伝わってきました。

ポロシャツ

被災地を巡って

電車が放置されていました。
地震後に停車して、規則どおり乗客を避難場所へ誘導しようとした時に、乗客から「ここは、高台だから安全だ」と意見があり、乗客はそのまま車両に残りました。
津波で流された人をも救出できました。
瞬時の判断が乗客の命を救いました。

海岸側の様子です。鉄筋構造の建物が3軒ほど残りすべての家屋が無くなっている状況です。
半年以上の時間が経ち、雑草があたりを覆うことで風景を別なものに変えています。

津波で流された車両などを保管している場所です。
持ち主と確認が取れれば、そのまま廃車です。
このような集積所があちこちにありました。

2011.10写真1

2011.10写真2

2011.10写真3

Aさんの車に乗せてもらい、これらの被災地を見て回りました。13日の予定も終わり、今回参加した皆さんと別れた後に地元出身の業者さんとAさんとショットバーで、飲みながら話をしていました。今回の「メンテナンス」のことや雑談で、反省会みたいな感じでしたが・・・。

Aさんが、『あの日は修羅場でした』『子供たちの前で、命の選定をしたんですよね・・・』とつらそうにその時を語り始めました。彼自身、溺れる人を助けた話をしていたのですが、私は、状況が判らずに、「お年寄りより若い人」「若くても助かる可能性がある人を優先させたことでしょう?」と彼に問いました。

「そうなんです」と彼が答えました。
「自分を責めないでください」、それが正しい言葉か判りませんが、その言葉しか見つかりませんでした。

河北新報「野蒜(のびる)の体育館」での記事

彼の言葉が気になり、後日調べると河北新報に「野蒜(のびる)の体育館」での記事がありました。

◎午後10時30分/ようやく水位が下がった/暗闇、呼び合う親子
体育館の中の水は、日が暮れても引かなかった。行方不明のわが子を捜そうと、必死に水をかき分けて体育館に入って来る父親たちもいた。子どもの名前を繰り返し呼ぶ親と、「お父さん」「パパー」と応じる声が、暗闇の中で交錯した。「1人だけ、何回呼ばれても返事のない子がいた」。斉藤さんは鮮明に覚えている。午後10時半ごろ、ようやく水位が下がったのを見計らって脱出作業が始まった。校庭には泥水がたまり、がれきや車が折り重なっていた。消防団員や父親らが、板や畳で橋を造り、子どもと お年寄りを誘導した。全員が校舎に移動できたのは真夜中だった。

この間、多くの人がぬれた服のままで待っていた。割れた窓から吹き込む冷気とギャラリーの床が体温を奪っていった。お年寄りらが低体温症で次々と息を引き取った。木島さんは「体育館の1階フロアで10人ぐらい、ギャラリーで8人ぐらいが亡くなったと思う」と証言する。斉藤さんは振り返る。「校舎に移った後も、暖房もなく、そこで亡くなったお年寄りがいた。校庭にも遺体があった。現実と思えない光景だった。


2011年4月18日月曜日:河北新報より引用

この状況に遭遇されたのか、水位が下がってからのことかわかりませんが、彼が、話してくれた「修羅場でした」と語った出来事の一部だと思います。

忘れられない彼の「言葉」

「物欲が無くなりました、震災や津波でなんも持ってかれるんですから~(笑)」
「人のつながりが、こんなに大切だと改めて気付きました」
「皆さんの、応援や支援があったから自分はこうしていられるのだからホントに感謝しています。」

Aさんと出会い、たくさん泣いて、たくさん学ぶことができたと思います。こちらこそ、感謝しています。つらいこともありますが『あきらめない』ことです。必ず支えになる人がいます。被災地の話を、皆さんに伝えることもそうですがホントに伝えたいことは『あきらめない』、その一言だけです。

復旧・復興が進むにつれて、彼らが遭遇する問題があります。終わったことでなく、まだまだ続く問題です。
子供たちが「野の蒜びる小しょう、ファイトー」と泣きながら、勇気を振り絞り、声にして励ましあったと思います・・・。子供たちに、こんなつらい思いをさせない為にも他人事としてではなく、彼らや被災地からの問題を共に学んで欲しいと思います。

東北復興車いすメンテナンス

「石巻ロイヤル病院」・「石巻港湾病院」「介護老人保健施設リハビリパーク花もよう」
施設備品車椅子の点検整備、2日で3施設、180台程の車椅子を参加したメンバーで整備。

日進医療機(1名)・ミキ(2名)・カワムラサイクル(2名)・松永製作所(2名)・オットボック(1名)アクセス(1名)・JASPEC(2名)川村義肢(2名)の総勢13名での参加でした。

車椅子も十数年前のスチール製のモノが多く、車体の傷みは少ないのですがタイヤなどゴムの劣化が多くあり、シートに関しても伸びた状態のモノが多くありました。

車いすメンテナンス1

車いすメンテナンス2

メンテナンス工具一覧

バッグの中と外にポケットがあり、「握る・掴む・切る系」の工具は別々に納めています。

スプレーグリスなども携帯しやすいように、小分けしてます。
収納すれば、こんな感じで持ち運びができます。

「アクティブグリップ」これはお奨めです。手洗いが出来ない場合を想定し、汚れてもティッシュで拭けば汚れは取れます。
出発まで慣れるために毎日作業時に「アクティブグリップ」を使用していました。

スマートフォン
荷物にならず、知りたい情報をユーザーさまへその場で提供・共有化できます。

JW-1の簡易診断の資料
ネット上のフォルダーに資料を保存。必要な機種の情報を閲覧可能。

メンテナンス工具1

メンテナンス工具2

メンテナンス工具3

ワンポイントアドバイス one point advice

今回参加したスタッフは、ベテランの集団です!「ここで作業させて頂いてよろしいですか?」なんて病院スタッフに確認を取ると同時に作業がスタートします…。なぜか、変に連携がとれてて「あ~M6か~!」って声が聞こえるとちゃんと見てもないのに、「袋ナットありますよ~」で解決することもあります!(笑)

今回の「東北復興車いすメンテナンス」で試験的に必要最小限の工具を揃えましたがあくまでも調整や整備が主体ですので、修理となると条件が変わり加工やそれに伴う工具も必要になりますので、調整や整備の為の工具選びの参考にして下さい。個人的には、充電式ドライバーとハンドリベッターなどを追加できればと考えます。

あるスタッフが、工具と一緒にチリトリとホウキのセットを用意していました。作業が終わると掃除してきれいにすることは大切なポイントですね。 (大西)

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